バーバーショップ クラッキ開業まで

1 幼少期~高校卒業


1980年、熊本市内で寿司屋を経営する両親のもとに長男として誕生。アットホームな店内で家族やお客さん達に囲まれて何不自由なく成長してきました。


接客業を営む両親を傍で見て育ってきたため、幼い頃からなんとなく『将来の夢=接客業』という漠然とした思いはありましたが、あまり将来の事を考えることもなく高校入試。そこで商業高校でなくまさかの工業高校に入学する事になりました。


高校生になってもこれといった目標や夢が見つからず…いよいよ高校三年生になったある日、実家が理容室で跡継ぎになる友人の進路に便乗、という何とも安易な考えで理容専門学校へ進学する事を決意しました。


しかし、入学直前になって同級生が突然の入学辞退。『親が敷いたレールに乗った人生は送りたくない』との事で、見事に一人取り残された形となり、入学当日を迎えました。


2 専門学校時代・就職と挫折


興味もない専門学校に突然置き去りにされ、これから一体どうなってしまうのか…


という心配をする事もなく?学校では同級生と楽しいスクールライフを送り、家に帰ると地元のスーパーでアルバイトに勤しむ日々を過ごしました。


2年の歳月を経て専門学校も無事に卒業、理容師として社会に飛び出したのですが、ここで初めて大きな挫折を味わうことになります。


当時、熊本市内では多少名の売れた理容室に勤める事になったのですが



面白くない…



会社の人達と合わない!



自分の時間がない!!



理容師免許こそ一発合格でクリアしたものの、就業後の練習や休日の講習会、クセの強い先輩方との上下関係、職人気質な業態が合わず、入社して半年足らずで辞めてしまいました。


今思えばただの甘ったれ君だったのですが、当時の僕は『二度とこんな仕事するものか』と強く思い、当時持っていたハサミやカミソリ等の道具を全て処分し、学生時代にお世話になったアルバイト先へ“出戻り”する事になりました。


3 フリーター時代


理容の道をあっさり諦め再びスーパーで働き始めた僕は、朝から晩までひたすら働き続けました。


当時勤めていたスーパーは九州でトップクラスの売上を誇り、とにかく毎日忙しくも充実した日々を過ごしていました。今思えば早々にドロップアウトした事に対して後ろめたい気持ちがあったのかもしれません。


僕が出戻ったその職場は正社員からパート、アルバイトまでお互いにサポートし合いながら働く素晴らしい環境で、最高の雰囲気の中毎日楽しく働いていました。(因みに現在の僕の仕事に対する姿勢や考え方はこの頃の経験から多大な影響を受けています)


4 勤めていたスーパーの倒産


理容業ドロップアウトから2年程経ち、僕はパートとしてスーパーに勤務してしました。


当時、社員の方や部門長から『このままパートで続けるより社員になった方がいいんじゃないか?』とお誘いを頂ける等、なんとなく『このままここで就職かな』と思い始めた頃、それは突然告げられました。



『経営破綻の為、民事再生法適用の申請』


いわゆる倒産というやつです。



「倒産!?この先どうなるの!?」



パート、バイト全員大混乱です。そりゃ突然クビと言われたのだから仕方ありません。当然正社員の人達は僕らよりもずっと深刻で、殺伐とした雰囲気を今でもはっきり覚えています。


あれだけみんなで仲良く働いていた人達が倒産により追い詰められ、ふとしたことで怒鳴り合い喧嘩してしまう…もう最悪でした


倒産日の一週間程前、社員、パート、アルバイト、70代のおばちゃんから20歳過ぎの若者含め、総勢20人近くで近所の居酒屋とカラオケボックスで盛大に飲みました。中には将来への不安で涙する人もいましたが、互いに肩をたたき合いながら励まし合って、すごく楽しかったのを覚えています。そういえばこの時生まれてはじめて朝を迎えるまで飲みました。



そして2002年、僕の青春の1ページとなった会社は倒産しました。


5 再就職するも今後の人生を真剣に考え始める


倒産後程なくして、僕の上司だった人から『一緒に来い』と誘いを受け、上司の知人が働く他のスーパーマーケットへ共に就職、前職場での経験が大いに役立ち、即戦力として今後についても期待されながら再び忙しい日々を過ごしました。


前職場ほどの規模や忙しさは無いものの、みんなで会社を良くしようという意識が高く、それでいてアットホームな雰囲気の中で働くことが出来る会社でした。雰囲気が前職場と似てる事やのびのびと働ける環境だったこともあり、正社員になって一年ほど経った頃には様々な仕事を任せられるようになっていました。


一方で、理容師として働いていた友人達はそれぞれの環境で各々にステップアップしていました。違う業界とはいえ、専門学校時代の友人との交流は変わらず続いていました。


ある日、当時良く一緒にいた理容師の友人と一緒に飲んでいた時『もうこっち(理容師)に戻る気はないとかね?お前は絶対こっちに帰ってくるべきだと思うんだけど』と、本気とも冗談ともとれるような事を言われました。


お互い酔っていたのでその時は聞き流していたのですが、その頃から彼に会う度に同じ事を言われ、また他の友人達も一緒に『戻ってこいよ』と言われ、気付いた頃には自分の中に『復帰』の二文字が燻り始めていました



6 理容業へ再挑戦


『こっちに戻ってこい』



友人達から掛けられたこの言葉にかなりの時間悩まされたのを覚えています。そして僕が今後の人生で悩んでいる事など他の人達が知るはずもなく、勤め先の会社は僕を一人前に育てようと様々な経験と勉強をさせてくれていました。


その気持ちに応えようとするほど余計に悩み、迷いました。そしていつしか『中途半端な気持ちで働く事は職場で本気で働く人達に対して失礼じゃないか?』と思うようになりました。そして散々悩んだ結果、僕を連れて一緒に入社した上司に相談する事にしました。


話を聞いた上司は怒る事も呆れる事もなく


『お前にいくら飯代驕ってきたと思っとるんか?』


『今から職人の世界で生きていくのは覚悟せなあかんぞ』


と、引き留めこそすれ最終的には僕の意志を尊重し、そっと背中を押してくれました。


その後会社に自分の思いを伝え、2004年お世話になったスーパーを退社し再び理容業へチャレンジする事にしました


7 四年のブランクを経て再挑戦。挫折から得たもの


理容業に24歳で再挑戦する事を、理容師の仲間達はとても喜んでくれました。4年のブランクを取り戻すべく、勤め先で暇があれば練習、夜は同期のいる店や練習会へ出向き練習、生来勉強や練習という事が嫌いだった僕がひたすら練習の日々を過ごしました。人って夢の為なら変われるんだ、という事をこの時初めて実感しました


ひたすら仕事に没頭する日々。出来ることが少しずつ増えてきて指名のお客さんも一人また一人と着実に増えてきていき、プライベートでは結婚し家庭を築く等、年月を経て生活環境も少しずつ変わっていきました。


環境が変われば考え方や価値観も自然と変化していきます。その中で家族と一緒に過ごす時間が少ないという事、時代に沿っていない業態と理容を取り巻く厳しい現状、そして将来について考え始めました


この頃抱いていた疑問は、他の業界を知らずにいたのなら疑問に思わずにいたのかもしれません。


そしてこの時、自分では回り道だと思っていた4年間が実は凄く意味のある時間だったと言うことに気付いた瞬間でした。


他業種で働いてきた経験は、決して無駄ではなかったのです。


8 独立を決意。開業へ


働く人なら誰しもが現在の自身の環境や状況に疑問や不満、理想を抱くことでしょう。かくいう僕も例外ではありませんでした。


理容師としての『自我』に目覚めた時、長年の夢だった独立・開業を視野に入れて動いてもいい頃合いなのかなと思い始めました。


そして2018年の年明け早々から夢に向かって少しずつ動き始め、2年後の2020年の7月、ようやく夢のひとつを実現することが出来ました。


バーバーショップ クラッキ 開業!


小売業から理美容業に復帰して間もない頃、お店を持つならどんな名前がいいかと考え始めた時から頭の中にあった言葉『クラッキ』。


意味はポルトガル語で『名手』。お店に来店してくれた人にとって唯一無二の『名手』になりたいとの思いからこの名前にしました


9 独立、そしてその先へ


2020年7月、遅咲きながら独立・開業という夢を叶え、現在少しずつではありますが沢山のお客様に愛される地域密着型のお店になりはじめています。


会社帰りにふらっと立ち寄り、喧騒を離れてゆったりとした時間を過ごす。同じ趣味の人達が店で出会い、他愛もない話から新たな『人との繋がり』が生まれ、皆の人生をちょっぴり豊かにする、そんなお手伝いが出来る店。


地元の皆様に愛されるお店作りを目指し、微力ながら大津町を盛り上げるお手伝いがしたいと考えています。


他にもまだまだやりたいことだらけ、話し出すとキリがありませんので今回はこのへんで。続きは来店の際にでもお話しできればと思います。



駄文になってしまいましたが、最後まで読んでいただいた方に僕の人となりが少しでも伝わってくれたらとても嬉しく思います。


そして、少しでもお店に興味を持っていただけたら幸いです。